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ターンAガンダム越境序説

●初出:RPGカンパニー2発行「LS vol.8—元気ッ娘特集—」内コラム(2005.8)
表紙&本文
 妄想エンジンと銘打った最初の1本。架空の本を解説するという骨組みに妄想のお肉をぶらさげようという体裁。元ネタはこれの前作にあたる、某北宋の壺付同人誌内で展開した“富野作品には複数の情報が仕込んである”という考えを水増ししたもの。
 本文は蛇足だらけでクスグリも上滑りしまくってたのにかかわらず、サークル代表のDUN氏は掲載の判断を下した。なんとまぁ度量の広い編集さまであろう。コアの部分が面白くなければ無駄な手間になるが全文書き直してみた……まぁご一読のほどを、ひとつよしなに。
ウソ表紙1
見えないものが見えてしまった者の袋小路
ターンAガンダム越境序説 ソーラ・レイジロウ著・栖書房/9990円(税込)
 YOーYOー犬の散歩ぉ〜、俺の昭和は終わっちゃないぜショウワノートっ!え〜この本は入手困難なので、ここで一気に意訳して中身を紹介しちゃいますよ。
 まず作者は、一九九九年にフジテレビ系で放映された富野由悠季監督作品『ターンAガンダム』の劇場版『地球光・月光蝶』を観に行ったってさ。コレン・ナンダーの青い瞳に訳もなく涙が出てきたというから、思いこみに偏りのある人なんだね。
 さて、何度か通ってるうちにいつも同じシーンに引っかかりを感じたと言うんだ。ここがこの本で言わんとする所。それは、物語のクライマックスも終えエンドロールへと移るシーン、月に帰った新ディアナ様御一行を見届けたカメラが、地球に向かって降下する場面。
 カメラは大気圏へ進入、雲の合間を抜けた後に海原を映し出す。俺も観たけどBGMが心地いい所。で、次のカットは再び雲を背景にしてスタッフのクレジットが流れている……このシーンに隠しメッセージを見つけたと作者は主張しているのさ。以下は本文より引用。
映像の原則  変だ、なぜカメラは再び雲海へ戻ってしまったのか?順序からいえばカメラはそのまま降下し、海の波間かアメリア大陸の草原なりを映すのではないか?「映像の原則」(キネマ旬報社刊:富野由悠季による映像技術解説本。映像の門外漢にとっても富野言葉と呼ばれる話し口調で充分楽しむ事ができる)にも書かれていないカメラ移動の演出意図とはいったい……
 映画館のロビーで熟考することしばし、遂に私はある閃きを得た。ありがとうララァ。
 カメラは転進せず、そのまま降下していったのではないのか!当然、海中を、海底を貫いたのである。な、ならばその先にあるのは……これはもうバイストン・ウェルしかあり得ないだろう。入浴中なら絶対エウレカものだ(バイストン・ウェル:富野由悠季監督作品『聖戦士ダンバイン』(1983年)の舞台。ヒトと妖精が共存する産業革命前の西洋調な異世界)。
 ターンAガンダムとは、監督の魂がガンダム世界からバイストン・ウェルへ帰還するための作品だったのである。
 やはり監督の魂が帰る場所はアソコしかないのだ!富野監督、あなたのメッセージ、しかと受け止めましたぞ。
(引用終わり)
説明図  …電波?…このあと本文では、いかに自分こそが一番富野作品を理解しているのだという、井の中のズゴック的発言に覆われていくのであるが、紹介するに足る内容ではないので本レビューもここまでとしちゃうよ〜ん。思うに本というのは作者の見識透けて見える恥辱プレイなんだな。気をつけなくっちゃね俺も。
 ありもしない秘密を挿入し、勝手に解釈して悦にいたる行為は自己肥大のデブチンぶりを物語る。おそらく作者は劇場版「Zガンダム」へも日参し、またぞろ発表の機会をうかがっているんだろう。そして本書同様、序説以降の論考には永久に取り組むこともなく……嗚呼ハンパ者いと哀れ。(栖)
 と、まぁこういった妄想を折にふれて書きとめていくのがこのコーナーの趣旨である。今宵はこれまで。いつになるや知れんが次回の更新を待たれよ。
(2006.5.26記)
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